肝付 兼亮(きもつき かねあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。肝付氏の第18代当主。

生涯

永禄元年(1558年)、大隅国の大名・肝付兼続の子として誕生。

元亀2年(1571年)、異母兄・良兼の死去により、亡父の正室「御南」や兄・良兼の正室である「高城」の意向を受け、良兼の次女を正室に迎え家督を継ぐ。しかし、元亀4年(1573年)、島津氏方の北郷時久と戦って敗れたうえ、伊地知重興・禰寝重良などが相次いで離反して島津氏に降ったため、これまで互角以上に渡り合った島津氏との立場は一変、天正2年(1574年)、島津氏に従属した。

しかし、日向国の伊東氏と通じた上、夫婦仲が悪かったことで御南や高城に正室と離縁させられ、日向に追放された。

寛永11年(1634年)、死去。


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1722 肝付兼続・良兼・兼亮 上荒田日記(続)

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