高品 武彦(たかしな たけひこ、1922年〈大正11年〉1月12日 - 2004年〈平成16年〉12月18日)は、日本の陸軍軍人及び陸上自衛官。陸軍士官学校卒業(第54期)。第14代陸上幕僚長、第11代統合幕僚会議議長

略歴

父はグアムの戦いで戦死した第29師団長の高品彪陸軍中将。高品朋陸軍少将は叔父にあたる。小学校を出てすぐ東京陸軍幼年学校に入学し、陸軍士官学校へ進む。1940年(昭和15年)、陸士卒業と同時に中国の華南に赴任した。太平洋戦争中は、マレー、シンガポール、スマトラを転戦し、1943年(昭和18年)に陸軍士官学校区隊長となり、大尉で終戦を迎えた。

戦後は公職追放を経て、1952年(昭和27年)9月、警察予備隊に入隊。その後、陸上自衛隊では第3師団長、防大幹事、幹部学校長、東部方面総監等を歴任し、1977年(昭和52年)10月、第14代陸上幕僚長に就任。1978年(昭和53年)7月には事実上解任された栗栖弘臣の後任の第11代統合幕僚会議議長に就任した。三矢研究では中心的役割を果たしたとされる。

年譜

  • 1940年(昭和15年)9月:陸軍士官学校卒業(第54期)。陸軍少尉に任官
  • 1945年(昭和20年)8月:大尉で終戦を迎える。
  • 1947年(昭和22年)11月28日:公職追放仮指定
  • 1952年(昭和27年)9月:警察予備隊入隊(1等警察士)
  • 1953年(昭和28年)4月16日:3等保安正
  • 1964年(昭和39年)
    • 1月1日:1等陸佐に昇任
    • 7月16日:陸上幕僚監部第3部防衛班長
  • 1967年(昭和42年)7月17日:第3普通科連隊長兼名寄駐とん地司令
  • 1969年(昭和44年)3月17日:第1師団司令部幕僚長
  • 1970年(昭和45年)7月16日:陸上自衛隊富士学校普通科教育部長
  • 1971年(昭和46年)3月16日:陸将補に昇任
  • 1972年(昭和47年)3月16日:陸上幕僚監部第3部長
  • 1974年(昭和49年)3月16日:陸将に昇任、第3師団長に就任
  • 1975年(昭和50年)3月17日:防衛大学校幹事
  • 1976年(昭和51年)
    • 3月16日:陸上自衛隊幹部学校長に就任
    • 10月15日:第13代 東部方面総監に就任
  • 1977年(昭和52年)10月20日:第14代 陸上幕僚長に就任
  • 1978年(昭和53年)7月28日:第11代 統合幕僚会議議長に就任
  • 1979年(昭和54年)8月1日:退官
  • 1992年(平成04年)4月29日:勲二等瑞宝章受章
  • 2004年(平成16年)12月18日:肺炎のため、東京都新宿区内の病院で逝去(享年82)。

栄典

  • 勲二等瑞宝章 - 1992年(平成4年)4月29日

脚注


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高島武彦 豊島区の高島武彦です。 高島 武彦 Flickr

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高島武彦 豊島区の高島武彦です。 高島 武彦 Flickr