羽咋郡(はくいぐん)は、石川県(能登国)の郡。
人口27,652人、面積358.27km²、人口密度77.2人/km²。(2025年2月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
- 志賀町(しかまち)
- 宝達志水町(ほうだつしみずちょう)
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、下記の区域にあたる。
- 羽咋市の大部分(大町・四柳町・酒井町・金丸出町・下曽弥町・鹿島路町・西潟町を除く)
- 七尾市の一部(中島町大平・中島町古江・中島町上畠・中島町河内・中島町鳥越・中島町北免田・中島町西谷内・中島町町屋・中島町藤瀬)
- かほく市の一部(箕打・元女・黒川・瀬戸町・八野・野寺・夏栗・二ツ屋・中沼と学園台の一部)
- 河北郡津幡町の一部(牛首・瓜生・上河合・下河合・上大田)
歴史
元は越前国の一郡であったが、養老2年5月2日(718年6月4日)に能登郡(現・鹿島郡)・鳳至郡・珠洲郡とともに分立して能登国となった。天平13年12月10日(742年1月20日)から天平宝字元年(757年)までは越中国に属した。
当初は羽喰郡とも呼ばれていたが、寛文11年(1671年)5月4日に現在の羽咋郡に改名された。
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は加賀藩預地。旗本領は土方氏領。《 》は同データベースでは左記の村に含まれていると見られる。(1町232村)
- 明治2年6月17日(1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。
- 明治3年5月22日(1870年6月20日) - 幕府領・旗本領が高山県の管轄となる。
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が金沢県の管轄となる。
- 11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により、全域が七尾県の管轄となる。
- 明治5年9月27日(1872年10月29日) - 石川県の管轄となる。
- 明治初年 - 吉田村(現・宝達志水町)が南吉田村に、小室村(現・志賀町東小室)が東小室村にそれぞれ改称。
- 明治8年(1875年)(1町232村)
- 太田村のうち旗本領が分立して東太田村となる。
- 当ノ熊村が新宮村に合併。
- 明治9年から17年の間に中山村が改称して上中山村となる。
- 明治11年(1878年)
- 12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての羽咋郡が発足。郡役所を羽咋村に設置。
- 太田村が西太田村に、吉田村(現・志賀町)が北吉田村にそれぞれ改称。
- 明治16年(1883年) - 免田村(現・七尾市)が改称して北免田村となる。
- 明治20年(1887年) - 羽咋村が羽咋町に、大念寺新村が高浜町にそれぞれ改称。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(2町38村)
- 明治24年(1891年)7月1日 - 郡制を施行。
- 大正8年(1919年)9月1日 - 富来村が町制施行して富来町となる。(3町37村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和2年(1927年)9月1日 - 塵浜村が改称して千里浜村となる。
- 昭和8年(1933年)
- 5月1日 - 樋川村・志雄村・南志雄村・北志雄村・南邑知村が合併し、改めて志雄村が発足。(3町33村)
- 5月15日 - 北邑知村・中邑知村・若部村が合併して邑知村が発足。(3町31村)
- 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は489.07平方km、人口は67,877人(男32,403人・女35,474人)。
- 昭和11年(1936年)2月1日 - 志雄村が町制施行して志雄町となる。(4町30村)
- 昭和15年(1940年)
- 2月11日 - 邑知村が町制施行して邑知町となる。(5町29村)
- 11月3日 - 東土田村・西土田村が合併して土田村が発足。(5町28村)
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 釶打村の所属郡が鹿島郡に変更。(5町27村)
- 昭和29年(1954年)
- 5月16日 - 河合谷村が河北郡津幡町に編入。(5町26村)
- 7月15日 - 南大海村が河北郡高松町と合併し、改めて河北郡高松町が発足。(5町25村)
- 10月1日 - 志加浦村・堀松村・加茂村・上熊野村・土田村が合併して志賀町が発足。(6町20村)
- 11月3日(7町2村)
- 羽咋町・富永村・粟ノ保村・一ノ宮村・越路野村・上甘田村・千里浜村および下甘田村の一部(上中山)が合併し、改めて羽咋町が発足。
- 富来町・熊野村・稗造村・東増穂村・西増穂村・西海村・西浦村・福浦村が合併し、改めて富来町が発足。
- 柏崎村・末森村・中荘村・北荘村・北大海村が合併して押水町が発足。
- 昭和30年(1955年)
- 4月1日 - 下甘田村が志賀町に編入。(7町1村)
- 4月28日 - 高浜町・中甘田村が合併し、改めて高浜町が発足。(7町)
- 10月1日 - 押水町の一部(敷波・敷浪)が志雄町に編入。
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 羽咋町・邑知町が鹿島郡余喜村・鹿島路村と合併し、改めて羽咋町が発足。(6町)
- 昭和33年(1958年)7月1日 - 羽咋町が市制施行して羽咋市が発足し、郡より離脱。(5町)
- 昭和45年(1970年)11月1日 - 高浜町・志賀町が合併し、改めて志賀町が発足。(4町)
- 平成17年(2005年)
- 3月1日 - 押水町・志雄町が合併して宝達志水町が発足。(3町)
- 9月1日 - 志賀町・富来町が合併し、改めて志賀町が発足。(2町)
変遷表
行政
脚注
参考文献
- 石川県『石川県史 第四編』石川県、1931年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 17 石川県、角川書店、1981年7月1日。ISBN 4040011708。
- 旧高旧領取調帳データベース
外部リンク
- 羽咋郡市広域圏事務組合 - 羽咋郡と羽咋市で設置する一部事務組合。




